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観るものを見ず、触れるものに感じず
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皆さんお久しぶりです。日記を書くのはいつ以来だろうか…。
ま、ちょっと下にスクロールすれば一目瞭然の話ですねw
こんばんは。
さて、昨日は3月11日ということで、mixiでもそんな記事が多く掲載されていたので振り返ってみました。

実は二年前のこの日、私の祖父母が亡くなっています。
未だにどういう状況で死んでいったのかハッキリせず、きっと死んだ彼らにとっては多少なりとも恨めしい思いがあることでしょう。
ボディーが自宅から約1キロ離れた薬局の駐車場で発見されたことから、推測では足が悪かったので逃げずに諦めていたとか、津波は珍しくない地域だったので変に慣れてしまっていたとか、様々です。
人の証言から出てきた推測もあるようだと父が言っていましたが、何れにしても釈然としない死には変わりがありません。
それとも本当に思い残すところがなかったのか…それなら良かったのでしょうけども…。

人が起こす事件や事故というのは、何となく時間が経てば捜査が進んで分かってくることもあるけれども、これは別ですね。時間が経てば経つほどに分からなくなっていく、むしろ実像が霞んでいくような感覚を覚えます。
別段感傷に浸りたいからこうして振り返っているわけでなく、事実思っていることを綴っているということだけであって、従来のスタンスと何ら変わりありませんよ?

ただですね、3回忌ということでお寺に行ってきたので少し思い出しておこうかな、と。そんな理由です。

でも振り返ると、当時自分は避難誘導をしていた。生死に関わることだから「誘導」というよりは、異例の「指示」に近い口調で呼びかけていたこの警備員。それでも自分の車に乗り込んでその場を去っていってしまった来場者は無事に逃れることができたのだろうか、とたまに考えてしまう…。
こんな事になるくらいなら、報道されているように「どうして」ばかりを繰り返す遺族が山のようにいるのなら、腕を引っ掴んででも非難させた方が最善だったのだろうか。
法を遵守する余り、立場を堅持し過ぎてしまったのだろうか。
より多くの人を救えたのに、自分は取り返しの付かない判断ミスをしていたのではないだろうか。
とか。
当時の上司が度々、「お前は多くの命を救った」とか讃えてくれていたけれど、果たして自分は「人殺し」と蔑まれることすらされ得る人間だったのではないだろうか。
なんて考えることもある…。

自分が正しい行動をとったか否かは、まさに祖父母の状況に近いものがあり、答えはモヤの中。
時間が経てば経つほどに分からなくなるくせに、自身はどんどん揺らいでいく。

せめて死者たちに冥福を。

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