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観るものを見ず、触れるものに感じず
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アレから一年経ったのかと思うと、オレは長かったように感じる。
でも思い返せば早かったなぁとも思う。
要は感覚的に例年通りということだ。
人は、どんなことがあったって身体という個体でみれば、同じ時間が経過すれば同じように劣化するが如く、体感時間はそう変化するものではないのかもしれない。

あまりにも多くの人間が大自然によって生命活動を止められ、残された青森、岩手、宮城、福島の人々は悲しみに暮れた一日だった。
大自然の恐ろしさをまざまざと見せつけられ、それこそ人間の技術が進歩するように自然もそれに負けんとするように、我々を襲った記念すべき日、それが今日だった。

彼女の訛りがもう聞けない、彼の昔話がもう聞けない、彼らの顔がもう見られない。
自然死と何が違うのかと問われれば、それは…
死ぬ間際に味わった恐怖、絶望、痛覚、未練…
それらが付加されたことに他ならない。
『鎮魂』という言葉がここ一年で安売りされていたが、鎮魂とは我々の念によってその死を出来るだけ自然死に近づけてやろう、ということだと思う。
そこで初めて彼らの魂は在るべき処に納まるのである。
意味を履き違えてくれるな。


さて。
11.03.11当日の行動は以前記した通りだったが、失ったものは人やモノだけではなかった。
故郷がなくなったのだ。
オレの出身地は気仙沼市だが、昨年の暮に見に行ってきた。
錦町というところがオレの生家のあった場所なのだが、何もなかった。
文字通り、何もなかった。
仙台市の荒浜地区というのは現住所からほど近いエリアだが、海岸線に大変近く今でもまっ平らな平原が続いているほどに被害が大きかった場所だ。
そんな荒浜地区でも道路は残っていた。
ところが、気仙沼は道路すら無くなっており、自衛隊が仮に復旧したと思われるあぜ道があるだけ。
どこがどこなのかさっぱり解らず、携帯電話のGPSでマップと照らし合わせてやっと場所を見つけるという、そのくらい激変していた。
辺りには仙台港で嫌というほど嗅いだ油と潮が混ざった臭い。
半年以上経ったというのに、それだけで記憶を呼び起こす。
年に二回くらいは戻ってきていたその場所は、ただの水溜まりになっていた。
帰る場所が無くなったのだった。

お別れは、
判別されたという知らせを聞いた時にした。
火の海になったと聞いた時にした。



生かされた命、さぁどう使おうか。

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1986/07/21
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